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宇宙の謎、シンクロニシティの正体
シンクロニシティって、
スピリチュアルな世界のように感じますが、
スピリチュアルとはただ単に、
現代の地球言語である科学で、うまく説明
できない分野のことですよね。
しかし、スピリチュアルな世界の中に、
宇宙の真実が隠されていると思います。
地球の文明がもっと進化すると、今の
スピリチュアルが当たり前になる時が
来るのでしょうね。
そこで、このシンクロニシティを、
心理学者ユングと物理学者ボームの見解から
探ってみたいと思います。
心理学者ユングと物理学者ボームの共通点
集合的無意識という概念を提唱して、
心理学界に旋風を巻き起こした有名な人に、
スイスの精神分析医 カール・ユング
がいます。
またユングは、今でこそよく知られている
シンクロニシティの概念も定義した
時代の先駆けでもありました。
実は、ユングが心理学の分野で考えていた
ようなことを、物理学の分野でも同じように
考えていた人物がいます。
それは、アメリカのデイヴィッド・ボーム
という物理学者です。
ボームは、アインシュタインが時間と空間が
別々の存在ではなく、滑らかなつながりを
持つもの、と述べたことをさらに進めて、
宇宙に存在するものすべてが、一つの連続体
の一部である、と述べました。
一見、心理学という心を扱う分野と、
物理学という宇宙の現象を科学的、数学的に
解明しようとする分野は、全く異質の世界
のように感じますが、
ユングとボームは別の角度から
宇宙の万物・私たちの意識はつながっている
という、同じ結論に至っています。
大変興味深いと思いませんか?
ユングの「集合的無意識」という見解
集合的無意識とは、
“人の意識は奥深いところでつながっている”
という概念です。
ユングがこう考えるようになった
きっかけは、ある妄想分裂患者が幻覚だと
思われるような辻褄の合わない話をした後、
たまたま2000年前のペルシャの経典を
見た時に、この患者が述べたような記述を
見つけたからだそうです。
この患者がこの経典を見た可能性は
極めて低いことから、彼が見たイメージは、
彼自身の無意識の産物ではなく、それより
さらに深いレベルにある、人類全体の
集合的無意識から湧き上がってきたものだ
とユングは考えました。
ユングはこのようなイメージを
「アーキタイプ(元型)」と呼び、
それはいわば、私たち一人一人の無意識の
深層に潜む、200万歳の人間の記憶のような
もので、その起源は太古の昔まで遡る
と考えました。
またユングは、単なる偶然と片付けられない
シンクロニシティの概念も提唱しました。
ユングがこう考えるようになったきっかけに
女性患者とスカラベ*の話があります。
*フンコロガシ、古代エジプト人が聖なる
甲虫として崇拝したコガネムシ科の昆虫
ユングが診ていたこの女性患者の態度は
とても頑なで治療に心を閉ざしていたために
効果がないように感じられていたある時、
この女性が夢にスカラベが現れた話をした
のをユングは聞き、この女性の心が開いて、
これから治療が良い方向に向かうと
予感したといいます。
なぜなら、スカラベは、エジプト文化では
生まれ変わりの象徴であることを知っていた
ので、この女性が心理的に生まれ変わる
体験をしようとしていることを物語っている
のだと感じたからだそうです。
その話をこの女性に伝えようとしたまさに
その瞬間、何かが窓を叩く音がして近づくと
なんと玉虫色をしたスカラベが窓に止まって
いたそうなのです。
ユングがこの女性に夢の解釈を伝えると、
彼女は驚いて、治療に対するこれまでの頑な
態度を改め、治療によく反応するように
なったというエピソードが伝えられています。
ユングは、精神治療の仕事を通じて、
このような意義深い偶然に幾度となく遭遇し
彼の考えが広く知れ渡るようになるにつれ、
他の治療家たちも、シンクロニシティ体験を
語るようになったと言われています。
ボームの「宇宙はホログラム」という見解
今度は、これまでの話と一転して、
物理学者ボームが考えた
「宇宙はホログラム状である」という
見解について、探っていきたいと思います。
ホログラムとは、元来3Dの物体像を記録
できる立体写真のことで、広義に
「すべての部分に全体が含まれる」
という意味で用いられる言葉です。
ホログラムについては、別の記事でお話して
いますので、「何だろう?」と思われた方は
こちらも重ねてご覧くださいね。
要するに彼が考えたのは、「宇宙を構成する
すべての部分は全体の一部だというだけ
でなく、すべての部分は全体を含んでいる」
ということです。
なぜ彼がこのような見解に至ったのかは、
素粒子のカメレオンのような性質から
だそうです。
素粒子とは、現代物理学が導き出した、
物質を構成する最小単位の呼び方です。
素粒子は、粒子として現れたり、
波動として現れたりするので、
カメレオンにたとえられるようなのです。
現代物理学は、物質を、それを構成している
粒子(電子、陽子など)にまで分解していく
と、もはや物質の様相を失うところまで
行きつくということを突き止め、
同時に、空間のあらゆる領域は、さまざまな
波長の波動(光やその他の電磁波など)で
できた「場」で溢れかえっており、それが
いつも互いに交錯し、干渉し合っている
ということも突き止めました。
そしてさらに、その「場」を埋め尽くして
いるそれぞれの波動は、必ずある量の
エネルギーを持つということも解明しました。
現代物理学では、これらの空間を満たした
素粒子をまとめて量子と呼び、
これが全宇宙を構成している根源的物質
だと捉えています。
ボームはこれらの事象から考察を進め、
量子が互いに別々の存在として空間を交錯し
干渉し合っているのではなく、すべてが
途切れない網の目のようにつながって、
宇宙全体を形作っていると考えました。
つまり、空間も、その中を動きまわる物質も
「エネルギーの海」の中に「一つ」として
存在している、ということです。
それはまるでホログラムが、そのフィルムの
どの部分にも全体の情報を包み込んでいる
ように、宇宙もホログラムのような原理で
成り立っているのではないか、
という考察です。
ボームは、宇宙のすべてが限りなく相互に
結びついているため、あらゆる意識もまた
相互に結合していると考えました。
なぜなら、宇宙を構成している量子レベル
では、物質であろうと意識であろうと、
すべてエネルギーとして溶け合っている
からです。
ですから、ボームは、
“深層では、人類の意識は一つである”
と考えました。
彼のこの見解は、まさに
“人の意識は奥深いところでつながっている”
というユングの見解につながりますよね。
そしてさらにボームは、
“意識はすべての物質の中に存在”し、
“意識とは物質のより精妙な一形態”
であるという見解も示しました。
シンクロニシティの真の意味
これまで見てきたことから導けることは、
“意識と物質との間に境界はない”
ということです。
また、アインシュタインが時間と空間は
つながっており、時空連続体と表現した
ように、ボームはこの考えを一歩進めて、
宇宙のすべてが一つの連続体であり、
時間と空間でさえ、それを構築しているのは
私たちの意識だ、と述べています。
これを理解するのはかなり難解ですが、
偉大な物理学者たちが述べているので、
とりあえずそういうことだとして、
ポイントをまとめると、
私たちは宇宙のすべてとつながっていて、
なおかつ宇宙全体を形作っている一部なので
「私たちの意識と物質との間に境界はなく、
相互に結びついている。」
ということですよね。
つまり、私たちが意識すること、それは
考えたり、何か思いついたり、ひらめいたり
アイデアだったりすることは、
すでに宇宙というエネルギーの海にあるもの
ということだと思います。
この「宇宙というエネルギーの海」が
「全体」で、私たちはその一部であり、
私たちの中にもその「全体」がある、
なので、私たちの意識にあるもの、
または浮かぶものは、
「全体」にとって不可欠なもの、大事なもの
だとも言えると思います。
なぜなら、私たちの中に在るものは、
「全体」を形作っていて、「全体」の存在
のために不可欠だからです。
この「全体」につながっている意識でいると
シンクロニシティは必然として起こるもの
なのではないか?と感じます。
なぜなら、私たちはすべてつながっていて、
宇宙「全体」を形作っている一部である
だけでなく、私たちの中に宇宙「全体」が
あるからです。
これが一般によく言われる
「宇宙意識」とつながるということ
ではないかと思います。
「宇宙意識」でいる、または、「全体」に
つながっている意識でいると、
大元につながっているので、“無理に” とか、
“頑張る” とかをしなくても、突き動かされる
ように“自然に” そこに向かおうとするもの
ではないかと思います。
そうすると、自然にシンクロニシティという
現象に遭遇するのかもしれません。
なぜなら、元々そこにあったものなので、
それ自身が表現しようとするからです。
つまり、自分の中にあった考えが、
自分を通して物質化しようとする時、
シンクロニシティは起こるもの、
ではないかということです。
それはなぜかというと、自分の中にあった
考えは、「全体」の中から取り出された
ものだからです。
であれば、自分の考えは、ただ単に
自分の中だけにとどまるものではない
ということですよね。
「全体」のために形にするもの、
ということになります。
それを表現しようとする時、
シンクロニシティは起きて、自分だけなく、
「全体」にも良いことが起こるのでは
ないかと思います。
私たちは、自分の中に沸き起こってくる
考えやひらめきを、こんなこと馬鹿げている
と過小評価したり、また、こういうことを
したいとひらめいた願望を、勝手に無理だ
とあきらめたりします。
しかし、「私たちは全体の一部であり、
私たちの中に全体がある」と理解すると、
自分を過小評価したり、
アイデアをあきらめたりすることは、
「全体」にとって損失だということにも
なるのではないでしょうか?
逆に言うと、「過小評価」や「あきらめ」を
やめると、シンクロニシティ*が実現を
応援してくれるのかもしれませんね ☆
*シンクロニシティに関しては、こちらの
記事でもお話ししています。